(続き)
さて、ここで漸く今日の本題に入る。
この
「永遠の0」
の作中では、興味深い教育に関する考察が成されている。
「日本の礎は、江戸の人間が作った」
という主旨の内容だ。
近代化を成し遂げ、欧米に肩を並べた明治を作ったのは、江戸の教育を受けた人間達であった。しかし、その明治の教育を受けた人間は・・特にエリ-ト達は太平洋戦争に置いて驕り高ぶり、部下達をボロ雑巾のように餓死させて、挙げ句は国を滅ぼしかけた。
帝国陸海軍は江戸の教育を受けた人間が作り上げ、明治の教育を受けた人間が滅ぼしたのだ。
その流れは尚も続く。
戦後の復興、そして昭和中期日本の目覚ましい経済発展。
“戦前の教育を受けた人間達”が、戦後の高度経済成長を成し遂げた。そしてその“戦前の教育を受けた人間達”が組織や企業の一線から退き、“戦後の教育を受けた人間達”にバトンタッチした途端、その途端に日本国は坂道を転がり落ちる勢いで衰退して行き、現在に至るのは言うまでも無い。
何故、戦前の教育を受けた人間はどこか一本筋が通っていると感じるのだろうか?
何故、戦後の教育を受けた人間はこんなにカス揃い(俺含む)なのだろうか?
それは、何も深く考えなくとも、ちょっと周りを見てみれば自明の理であろう。
「無学な教師」
「無教養な親」
「無知な知識人」
こんなのに囲まれていればまともな社会人など育とう筈も無い。
教養とは学歴の事ではないのだ。教養が学歴だと考えている限り、真の教養には永遠に辿り着けないだろう。教養とは、人間が人間として人間らしくきちんと生きて行こうとする、謙虚な自制心からのみ生まれ出るものだからだ。
然るに、今の教育現場や家庭では自制心のある子供など育つ訳が無い。
忍耐力が極度に不足し、代わりに根拠の無い自尊心のみが無駄に肥大化した役立たずが大量に生産され、社会に放出されて、結果お荷物になって行く。
これが戦後教育が行き着いた成れの果てなのだ。
「戦前の教育は正しかった」
「戦後の教育は間違っていた」
これは最早、議論の余地も無い事実である。
今からでも遅くは無い。今ならギリギリ間に合う。
今こそ我々は、戦前の教師や教育システムから、真摯に学ぼうという姿勢が求められるだろう。
今日はこれまで。
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